2008/08/08

My GrandMother

 7:56、僕の大切なおばあちゃんが、皆にみとられておじいちゃんの元へ旅立ちました。
つい1週間前まで、なんでもなかったのに、3日前から様態が急変し、ベッドから
体を起こすこともできず、何も食さず、ただただ苦しそうに、辛そうに目を閉じて
一生懸命生きようとしてました。

 おじいちゃんが他界した時も、病院ではなく家から旅立ちを見送りました。
孫の僕らで交換にタンの絡みをとってあげる事が、そのときの僕らにできる精一杯でした。
日がます毎に黄疸がひどくなり、血便をだした段階で、おばあちゃんがは、
「おじいちゃんはそろそろ旅立つよ、よく見てあげて」といった事が強く印象に残っているよ。

 そして今度はおばあちゃんの番。体調が悪化して直ぐに血便が出てしまいました。
僕はその時に覚悟を決めてました。でも、それでも頑張って生きてほしくて、
祈る気持ちでベッドから顔をおがみました。
でも、やはり結果は同じでした。周りにいる全員がはっきりとわかるほど様態が変化し
みるみる呼吸に力が無くなるのが見て取れました。
僕は、その先の事を覚えていません。父親、母親、姉、姪っ子達、弟、皆が涙している光景
がかすかにうかぶ位で、最後のおばあちゃんの顔を見ることができませんでした。
でも、大往生です。僕らには苦しく見えたけど、ずっと世話していた母親は、最後の最後まで
おばあちゃんは弱音を吐くことをせず、どこも痛いといわず。ただただ、生きる力を失っていったそうです。

 常に周りに気遣いする人でした。僕はこのおばあちゃんの血をひいたのだと思っています。
自分の事は二の次で、周りが喜ぶ事を自分の喜びとしている人でした。

 僕は後悔しています。なんであの時言うこときいて買い物いってやれなかったんだろう?
なんで素直におばあちゃんの言うことに耳を傾けなかったのだろう?ホントにちょっとした
事。ホントにちょっとした事。でももうしてあげる事はできない。きっとそれは、
命は有限であると頭で理解しているけど、日常では無限と感じてしまうから、
そのときそのとき優しくできなかった。ごめんね。おばあちゃん。

 耳が遠くなってみんなとうまくコミュニケーションとる事ができなくなっても、
おばあちゃんは一生懸命皆に話しかけてたね。正直、僕の両親は精一杯介護をしたと思う。
これは胸をはって言える。でも、両親は両親で仕事で疲れていることもあり、
1つ1つの会話に付き合うことができない時もあったよね。それでも、父親が寝るときは、
頭を下げて、ご苦労様って・・・・、ありがとうございます・・・・って。
毎日いってたね。僕はちゃんと聞こえていたよ。

 お昼時、ご飯をベッドに座って一人で食べている姿、僕は何度も見かけたよ。
でも、話しかけることをしなかった。寂しそうに外をみて食べているおばあちゃんも、
一言もかける事できなかったよ。ほんと、ごめんなさい。

 僕が出かけるときは、必ず声をかけていったよね。これは僕のおまじない。
いってくるね!っていったあと、きまっておばあちゃんは、気をつけてね、
わざわざ来てくれてありがとうって・・・

 涙がとまらず、気が動転してて何かいてんだかわかんなくなっちゃった。

おばあちゃん、もうおじいちゃんのトコいったかな?
書きたい事、伝えたいこと、おばあちゃんがどんだけすごい人だったか、たくさんたくさん
あるんだけど、今日はもうかけないや。

 どうか二人仲良く、両親と僕らを見守っていてください。
 
 僕も、毎日、二人に話しかけるからね。

おばあちゃん、そこでは二人でゆっくり過ごしてね、おじいちゃんにはもう気をつかう事ないよ。
思うがまま、わがままに過ごしてください。それは、こっちの世界ではぜったい
おばあちゃんにはできない生き方だから。。

おばあちゃん、僕はおばあちゃんの孫である事が誇りだよ。
優しい気持ちを持つ事を教わったのもおばあちゃん、気遣いする心を学んだのもおばあちゃん、
たくさん大事な事を教えてくれてありがとう。

 安らかに、ゆっくり、ゆるりと過ごしてね。

 ありがとう。おばあちゃん。